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Column / 「バロン」薩摩治郎八の真実



TAILOR CLASSIC   
21st Century
Idea





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b0151357_350046.jpgブログの印象もあるのか、
初めてお会いする方から「もっと年上の方かと思っていました」と
言われることがあります、
極端な方によると「薩摩治郎八と同じ時代の人」というのも、
ウーン、それはちょっと極端かも、、、


薩摩家は、大正の成金時代を代表する家です,
財閥でなく「成金」というのが多分、治郎八本人にとっては
生涯のコンプレックスになっていたような節もあります、

当時の富豪26人のひとつに数えられた薩摩家は、
駿河台に千数百坪の大邸宅を持ち、
ヨーロッパに遊学した治郎八への仕送りは
月に一万円(約一億円か?)ともいわれています、


治郎八の豪奢なヨーロッパでの生活は、
いくつかの資料で様々に語られていますので、
ここでは触れません、






b0151357_3591031.jpgこの時代に欧米に渡航した人たちは、
多かれ、少なかれ、「諜報」と結びついていたように思います、
或いは、それを「大義」と呼ぶかもしれません、
当時、日本は「帝国」であり、
良い意味でも悪い意味でも「国家」の矜持と戦略が存在していました、


当然、遠く離れた欧州にも諜報活動の拠点は設けられ、
「陸軍」、「海軍」、
そして古からの日本の陰の力であった「西本願寺」、
この三派が積極的に海外に「草」と呼ばれる「諜報」を送っていました、
そして、この三派は互いに牽制しあってもいました、
「草」というのは、大使館や軍人ではなく「民間」に張った諜報です、





b0151357_0482329.jpg「諜報」という観点から、この時代の「ヨーロッパの日本人」をみてみると、
「歴史」の事実とは又違う物語が浮かびあがってきます、
所詮、歴史は人がつくるものです、
そこには「歴史」の大意とは違う人間臭さが必ずあります、


エコール ド パリの寵児、藤田嗣治が、
「草」であったという説があります、


陸軍のパリにおける諜報のまとめ役が藤田であった、
オカッパ頭も、独特の装いも、放埓な生活も、隠れ蓑であった、と
もともと、藤田の出自は陸軍と深いつながりがあります、

陸軍軍医総監(軍医の最高職)を父に持ち、
当時、最高の秀才校と言われた東京高等師範付属中学を
優秀な成績で卒業した抜群の秀才であり、かつ秀でた画才がありました、
藤田は美校卒業の2年後の大正2年、画学留学生としてパリに渡っています、
(写真は、治郎八愛用のスカーフとポケットチーフ、蝶タイ、
なかなかクラッシックな趣味ではある、)






b0151357_23565420.jpg巷間伝わる放埓な生活とは逆に、
実は藤田は一滴も酒が飲めなかったといわれています、
パーテイでも「酔ったふり」をしていたと、

治郎八は、藤田の最大の「パトロン」として有名です、
治郎八は、大正9年、19歳でオクスフォードに留学するために渡欧し、
翌年大正10年にはパリに居を移しています、
(写真は治郎八の愛用の時計、面白いのは写真中央の当時最新のエルメス製の
ベルト バックル型の時計を早速手にいれている、)

ここで治郎八は藤田をそのアトリエに訪ね「パトロン」になるわけですが、
当時、1901年生まれの治郎八は20歳そこそこ、
1886年生まれの藤田は、36歳で、
すでにサロンドートンヌの審査員でもあり、
代表作「Nu couché à la toile de Jouy(寝室の裸婦キキ)」は、
パリ画壇でセンセーションを巻き起こし、
8000フランを越える値で、買い取られています、



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藤田の手引きで治郎八は、芸術家とつながりを持ち、パリ社交界に出入りしはじめます、
藤田と出会う前に、治郎八が社交界に出入りできていた痕跡はありません、
私の経験から云っても、社交界に「外国人」が出入りするためには、
ある「程度」の「現地」の後見人が必要です、
パリにおけるサロンドートンヌの審査員というのは、
ウイーンにおけるウイーンフィルの指揮者就任と同様に、
その時点で社交界との日常的な繋がりができ始めます、
当時、「Fou Fou(お調子者)」という愛称で社交界でも人気者だった藤田は、
治郎八にとって格好の「後見人」といえたでしょう、

(写真は、ランバンで仕立てられた治郎八の「ミッドナイットブルー」のテイルコート、
ウインザー公をまねたのか、パリ社交界では初の「黒」ではないテイルだったらしい)
 




藤田と治郎八の関係は、パトロンと画家というよりは、
薩摩家という資金力を背景とした早熟な青年を藤田が「草」として監視し、
手玉にとっていた節があります、
薩摩家は商売柄、「海軍」と深い関係にありました、


治郎八自身は、確かに「早熟」で、渡航前から自邸で音楽会などを催し、
徳田球一など共産主義者をワザと招待して、
出席者の顔色を面白がるようなところがありました、
しかし、学業もそれほどパッとせず、
薩摩家の跡継ぎとして箔をつけるために、
父親がオクスフォード留学を手配したといいます、

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当時の陸軍の「諜報」を預かっていたのは上原勇作元帥だといわれています、
この「日本工兵の父」といわれた元帥は興味深い人物です、

薩摩家は海軍とつながりはありましたが、
こと「諜報」という分野では、統制力抜群の陸軍に比べ、
海軍は、組織統制においては杜撰といわざるをえませんでした、
そして、ご存知のようにその後の日本は陸軍によって導かれていったといえるでしょう、

治郎八の「勲章」となったパリ日本館の建設(1929年)も、
一説によると、自立できうる豊富な資金力をもって、
かつ「イノセント」な振る舞いにみえる青年治郎八を、
軍部が「危険」に感じて、「薩摩家の資財を枯渇させる」ために、
大義の下に「仕組んだ」ともいわれています、

なるほど、日本館はあくまで「政府への要請」です、
そして1931年に満州事変を起こす日本には別の意味で「金が要りました」、
それに、治郎八だけが資金提供を受けず、「管轄外」にありました、

(写真は、治郎八のダンヒル製のシガレットケースと愛用のシガレットホルダー、
治郎八は晩年までゴロワーズを喫い続けたという)


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1926年に新妻千代を伴って再渡仏してから、
1935年の大恐慌による薩摩家の破綻、そして1937年の帰国までを、
治郎八の「華」とするならば、それは10年余りにすぎません、

史実によると、その「華」の時代に、治郎八は「遊蕩」だけでなく、
「民間外交」とも呼べる活動をし、日本政府に働きかけもしています、
この時代の日本人は、ある意味で「真面目」です、エゴイステイックではありません、
しかし、日本政府要人は治郎八をその若さもあり、相手にしなかったようです、

戦後も、治郎八は無視されたといえるでしょう、
もし、治郎八がフランス国籍ならば、
レジヨン ド ヌール受勲者を仏政府は死ぬまで丁重に扱ったでしょう、



翻って藤田は、1940年に戦火を逃れて帰国するまで、
何度かフランスと日本を行き来しています、
帰国した藤田は、陸軍との繋がりから従軍画家として「戦争画」を描き続けます、
その藤田の「戦争画」はやはり抜群に上手いです、
美術価値のある「戦争画」です、
点数も他の画家よりも数多く残っています、
そして、当時、或る意味で、それまで藤田に対して閉塞的だった日本画壇は、
初めて藤田を戦争画によって「評価」します、

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しかし、これが災いしました、
戦後、藤田は日本画壇の「戦争責任」を一身に背負わされ、
手のひらをかえしたように、今度は「美術界の面汚し」とまで批判され、
まともに評価されることはありませんでした、
終には藤田は「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」という彼らしい捨て台詞とともに、
再度渡仏して二度と帰国することはありませんでした、
実質的には日本を追われたも同然です、
そして、晩年まで藤田は「正しく評価しない以上、忘れて欲しい」と、
日本での展覧会を強く拒み続けていたといいます、


この二人の稀な「幸運」に恵まれて生まれ、
そして本来は、もっと国際的に評価されるであろう活躍を成し得た日本人が、
時代のせいもあったでしょうが、
祖国が認めず、その運命を狂わせて仕舞ったのには悲しく思わざるを得ません、
藤田はフランスに戻ってから友人たちに、
「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」とよく語っていたといいます、

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」

寺山のあの短歌が思い出されます、




70年代のヨーロッパでは、まだ彼らには日本人と中国人の区別もつかず(いまも、そうかもしれませんが)、私は何度も「I`m  Japanese」と繰り返さざるを得ませんでした、

私は、ちょっと派手で、「国籍不明」だったせいもなおさらあるかも知れませんが、行く先々で繰り返したその言葉の記憶もあって、この二人には説明し難いシンパシーと「しこり」を感じます、

特に、藤田は抜群の才能とその頭脳明晰で、時代というものが味方すれば、晩年のレクイエムのような子供の絵ではなく、別次元の芸術にまでかるく羽を伸ばし得たように思えて惜しくてありません、

或いは治郎八は、あの中途半端な「日本館」を得る中途半端な「栄誉」よりは、20世紀前半の傑作を生まれるすぐそばから蒐集していく日本人初の貪欲で歴史的なコレクターになって欲しかったと悔やまれてなりません、治郎八は、その時代と場所に恵まれていたはずです、

資料を調べていくと、それでも治郎八はルノアールや数枚の「もの」は持っていたはずです、しかし、今、治郎八が残したものにそれらは残念ながら見当たりません、多分、「日本館」の資金のためにどこかに消えていったのでしょう、

ただ、私が治郎八の残したもので、気にいっているコレクションがひとつあります、

それは、治郎八が愛用したという「ネクタイ」のコレクションです、これについては、、、いつか紹介しましょう。









「ティラー六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp(appointment required 要予約)

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copyright 2009 Ryuichi Hanakawa

by tailorrikughi | 2008-12-25 11:12 | ■Column(New)

Classic tailoring 11. / Navy Blazer

TAILOR CLASSIC   
21st Century
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NAVYBLAZERNAVYBLAZER


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Art&ClassiC

NAVYBLAZERNAVYBLAZER 
「本物の ネイビーブレザー」

「ネイビーブレザー」はチョークストライプのスーツとともに、紳士のワードローブには揃えておかなければならないと、世界紳士協会憲法で決まっている、(ウソです)
それは冗談としても、「ネイビーブレザー」ほど永遠の生命を持ち、そして重宝するワードローブはないと思う、

しかし、これほどポピュラーな「ネイビーブレザー」だが、意外に「本物」が少ない、

ネイビーブレザーには、シングルとダブルブレステッドがあり、どちらもクラッシックだが、英国においては、やはりダブルブレステッドのものを良く見かける、このダブルのものには、6ボタンのものと、もっとクラッシックな8つボタン(例えば、大英帝国ロイヤルファミリーのネイビーブレザーは、原則的にこの8つボタンに限られている)のものがある、
そして、これらは、ビスポークでなければならない、

「ネイビーブレザー」は男にとって、ある意味で日常生活での「ブラックタイ」(アメリカ風にいえばタキシード)であり、これだけはクラッシックな本物を身につけるべきで、まがいものは出自を問われかねないからだ、



そして、正しく仕立てられたこの一着があれば、大げさに云えばどこにでも出掛けられる、もしも、これしか着ないと決めてしまえば、もしかしたらどんなスーツよりも汎用性が高いかもしれない、

ただし、気をつけるべきは身体にフィットした本物を、「正しく」仕立てることだ、(つけ加えれば「贅沢」に)


間違ってはいけないのは、この「ネイビーブレザー」の出自は、「ライブリー」(式典用の制服、軍服)にあるということで、スポーツスタイルとして捉えられているが、カントリースタイルなどのものではない、

その「ライブリー」という出自から、或る意味で「ブラックタイ」に近い、フォーマリテイを持ちえるのだ、ここが、大切で、誤ってはいけません、





b0151357_17594138.jpg先ず、そのスタイルに触れる前に、「ネイビーブレザー」で不可欠なクラッシック デイテイールについて触れてておかなければならない、

それは、「ボタン」である、

本物の「ネイビーブレザー」に限っては、いい加減なボタンは許されない、ビスポークであるべき理由はここにもある、通常、使われるのは、所属する「クラブボタン」、「ガーズ ボタン」(近衛兵など、チャールズ皇太子のボタンはこういった種類だ)、「ハンテイングボタン」、そして「ライブリー ボタン」である、ボタンの仕上げも、シルバー、ブラス、ゴールド、そして私が好きな、珍しい黒のつや消し仕上げがある、

特別、指定がないなら、由緒ある「ライブリー ボタン」か「ハンテイング ボタン」にすべきだと思う、或いは、ボタンとしての細工が素晴らしいもの、、、間違っても安っぽい金メッキのボタンなどつけてはいけない、そういうものではないのだ、





(写真は、英国の古いヨットクラブのボタン、珍しいのは黒のつや消しで仕上げられたメタルボタンで、細工が素晴らしい)、

b0151357_1804196.jpg「Aesthetics  of Buttons」
つまり「ネイビーブレザー」における「ボタン」は、画龍点晴の「点晴=眼」にあたる、

いくら上手く仕立てられたとしても、ボタンがひどければ、それはまがいモノになってしまう、或いは平気でひどいボタンをつけるようなところは、「ネイビーブレザー」そのものを「知らない」ところだといえる、「ネイビーブレザー」は、どこか「クラス」を感じさせるものなのだ、


それだけでなく、ボタンはアエステイックな意味においても探っていくと愉しいもので、往年の優れたボタンメーカーのものは、老舗の宝石屋の細工を尽くしたハイジュエリーにひけをとらないクリエイテイビリテイと気構えを感じさせる、






NAVYBLAZERNAVYBLAZER 
ネイビーブレザーに相応しい生地、私は21世紀のタウンスタイルには贅沢な生地がふさわしいと思っている、ただし、「本物」の良い糸と織りのものを、、、





b0151357_1958596.jpg「英国製 ジョンクーパー ハイツイストウーステッド」

真冬を除いて、ほぼ3シーズン着られる、ジョンクーパーの上質な糸でしっかり織られたハイツイストウーステッド、少しドライな良い表情をしています、いろいろと試して、考えてみましたが、このハイツイストのウーステッドは春から秋までのネイビーブレザーとしてはオーセンテイックで、静かに上品で、機能的にもふさわしいと思います、

強い撚糸で織られた、ハイツイスイトウーステッドは、ほとんどクリースフリー(シワが寄りにくい)で、320g前後の糸の良いものはしなやかで、ネイビーブレザーだけでなく、もっと活用されて良いと思います、とくに、ビンテージとして残る優れて本格的なものは、ウーステッド或いはスーテイング用生地としては、或る意味で理想に近いものだと思います、

ビンテージ(1960~70年代まで)のものでは、このジョンクーパーと、リード&テーラーのものに、特徴がある良い生地があります(全てが良いというわけでは当然ないですが)、どちらも、今の会社の在り方と違い、良く正直に織られたハイツイストで、当時は定評がありました、

色目も、ダークネイビーとネイビーの2色を揃えてあります、










b0151357_19585646.jpg「英国製 スーパー120‘s & カシミア」

真夏を除いて、ほぼ3シーズン着られる、しっかりタイトに織られたスーパー120‘s&カシミア、独特の光沢があります、細番手のものはタイトに織られていることと、或る程度の厚みがあるものに限って良い生地があります、

アトリエでも、300~320gの目付けのしっかりしたものに限って、スーパー150‘sまで納得のいく高番手のものを揃えています、糸が良ければ120‘sあれば充分、高番手としての魅力をもっているように感じます、








b0151357_2019776.jpg「英国製 クラッシック ネイビーフランネル 」

なにより、このネイビーの色が欲しかった、織りも、ウエストイングランド クラッシックフラノの質と糸に拘って織ってもらいました、

良い糸を選んだので、タイトに織られていますが、カシミアのようなしっとりしたタッチがあります、



「100年素材 -本物のネイビーブレザー」
(仮縫付き、フルハンド、ヴィンテージボタン、シルクライニング)
¥250,000-~(税込み¥262500-~)







「ティラー六義」
中央区銀座一丁目21番9号
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by tailorrikughi | 2008-12-06 18:49 | 11.Navy Blazer

Classic tailoring 10. / White FLannel Suits with double breasted waistcoat



TAILOR CLASSIC   
21st Century
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Art&ClassiC


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「ホワイト フランネル物語」

ホワイトフランネルは、元来はクラッシックなスポーツ服として、随分、着られていました、今の私たちにとってはフランネルというとそのミルドフィニッシュの生地感から秋冬のものと思いがちですが、ホワイトフランネルのトラウザーズはネイビーブレザーと合わせて夏の紳士の装いの定番でもありました、

ホワイトフランネルのトラウザーズの便利なところは、手持ちのスーツの上着のどれとでも合わせるだけで、スポーツスタイルに早変わりするという便利さと、またスーツのトラウザースがくたぶれ果てたとき(大概、上着よりもトラウザーズの方が先に痛む)に、このホワイトフランネルと合わせることが暗黙の了解として英国の着こなしのルールにあったからです、
昔は、イギリスの田舎の「ガーデンフェステイバル」などに行くと、古いスーツの上着に、ホワイトフランネルのトラウザーズを合わせたお爺さんをよく見かけたものです、
そうやって、トラウザーズが痛んで着られなくなったスーツも、上着として生かして愛用し続けたのです、昔の英国はそういう国です、
それに、なるほど、白いフランネルは夏生地でも秋冬ものでも、ストライプでも無地でも大概の生地に合います、


だから、紳士のワードローブの必需品でした、20世紀半ばまでは、

ところが、いまや上質のホワイトフランネルを探そうとしても見当たりません、嘘っぽい女物めいたものはときどき見かけますが、これはお話にもなりません、出自の良いものは皆無です、

ほとほと苦労して、ついに、織らせることに決めました、どうせ織らせるなら理想のものをと思い、チョークのフランネルと同じ、ラムウール95%とカシミア5%のコンポジションで、ヨークシャアの本格的なフランネルで300gで織らせることにしました、

ホワイトフランネルは、スポーツファブリックですが、育ちの良い、品の良さがあります、他の素材と違う表情をもっています、コットンではカジュアルすぎます、トロピカルウールではあのスポーツテイストがでません、コーデユロイやモールスキンには、あの軽やかさがありません、スポーテイだけれども、少し贅沢感のある、「良家の子女」といった雰囲気があります、

実際、織りあがった生地は、思いのほか質がよく、ホワイトカシミアを思わせるほどのタッチと、軽さもあります、ただし、ミルに言わせると、これはエクリュ(オフホワイト)だそうです、いまは、純白=ホワイトをつくることは難しいそうです、歩留まり、生産ロスもあるのでしょう、

しかし、充分、納得できる仕上がりで、かえって純白より、仕立てたときに落ち着いて納まります、


300gという重さは、当初、少し軽いかなと迷いましたが、正解でした、私はこれで仕立てたトラウザーズを一年中、愛用しています、2月のニューヨークでも、キャメルのブレザーに合わせて街に出ましたが問題はありませんでした、ただ、70年代後半につくった裏が総毛皮張りのコットンギャバジンのコートを着ていましたけれど、、、


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b0151357_1535168.jpgホワイトフランネルは随分探しました、色々なミルのものも見ましたが、タッチが気に入りませんでした、妙にザラつきがあって、スポーツファブリックというのは分かるのですが、今の気分としては、違うように思います、

とも布で、ハンチングもつくろうと考えていましたので、21世紀のタウンに相応しいのは、タッチがすべらかで、軽くかつタイトに織られていて、優しく贅沢でソフトな表情のものが良いと考えました、

これは私の経験を踏まえた「偏見」ですが、いま世界でまともなフランネルを織ることが出来るのはわずか一軒のミルです、しかも、フランネルは極めてクラッシックな生地、つまり古臭い生地なので、ウーステッドと違って後退していることはあっても、「進歩、改良」されていません、

正直にいって、その一軒のミルで手間を惜しまず、特別、念入りに織らせるしか優れたフランネルは手に入らないと思います、残念ながら、そのミルのものでも通常のもの、或いはビンテージといわれるものはさほどではありません、フランネルに関しては入念に織らせるというのが私の結論です、




b0151357_154392.jpgホワイトフランネルのスーツは、ダンデイズムの匂いのする、ピークドラベル、段返り、ウエストコートはショールカラーのダブルブレステッドに仕立てました、
肩は、わざと少しステートメントショルダーにしています、

スポーツテイストですので、ピークドラペルもわざと尖らせないで、小丸に、縁から少し内側に「立体的」なハンドステッチを施しています、

シルエットは、30年代のエスクワイアのイラストのように少しアメリカンテイストを入れた、イングリッシュドレープに仕立てています、



b0151357_1552095.jpgこの少しアメリカンテイストというのがポイントです、
30年代のアメリカ(とくにニューヨークを中心とした)の「イングリッシュドレープ」の解釈には独特の格好良さがあり、クラッシックでエレガントなのですが英国に比べるとスタイリッシュです、
英国のカッターでも、趣味のある人はわざとそうしたテーラリングをとりいれたりします、
それは、ウインザー公の影響もあると思います、ある時期からの公のスタイルは厳密に言えば英国元来のクラッシックではありません、



b0151357_2222961.jpgマスキュリンな後ろ姿、、
これはスポーツスタイルですが、クラッシックというのは奥が深く、同じピークドラペルのシングルスーツでも、サー・イーデンのようなエレガントでクラッシックな英国のタウンスーツ、まさしくイングリッシュドレープのスタイリッシュなタウンスーツ、カントリーテイストのピークドラペルのツイードスーツなどテーラリングのバリエーションがあり、それぞれで、プロポーションとデイテールのつくりが違っています、六義ではダブルブレステッドとシングルではピークドラペルの形そのものも違えています、




b0151357_1824579.jpgライニングは温かみのあるオフホワイトの量感のあるシルク、裏地を選ぶときは色や柄だけでなく、量感や質感の相応しいものを選びます、
これは、ホワイトフランネルの質感とあわせて少ししっかりとしたシルクを選んだ、シンプルに見えるけれど、けっこう探すのに苦労しました、










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by tailorrikughi | 2008-12-01 15:08 | 10.White FLannel