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Column / 「生涯の友人」としてのスーツ





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チャーチルがいったい何着のスーツを持っていたのかは知らないが、
写真に姿をみせるチャーチルは、
いつも、充分に着込んだ風情の背広を身に纏っている、
そのスーツは、幾分「くたびれた」とも表現できる、


しかし、よく見るとそれはなかなか味のある良いギャバジンで仕立てられていたり、
愛用していたチョークストライプのスーツのラペルも、
あの特殊な体型をチャーミングに見せる
絶妙の幅に仕立てられている、
いつも、水玉の蝶タイを少し無造作に結んでいるのもクラシックでこの人らしい、


1950年代に、ハロルド・ニコルソンはヴァニテイーフェアに、
チャーチルは、英国で最も興味深い男だ、
いや考えるとそれ以上のものだ、
それは、ひとつの「事象」、ひとつの「謎」といえる、
と、書き残している、

同時代人にとっては、それぐらいの「存在感」が、
チャーチルという男にはあったということだ、
いつも、やや意地汚く葉巻を咥えて離さないこの男は、
「信念」に力強く忠実であったことで、歴史に名を残し、
スタイルがあった、

無造作を気取っていたが、
スーツに合わせるシャツは、
いつも決まった上質の白いローン地でしか、
シャツ屋につくらせなかった、




b0151357_546589.jpgアメリカ人初のノーベル賞作家となった、
シンクレア・ルイスはいつも端正な姿で写真に納まっている、


ピュリッツアー賞をとった「Main Street」や、
ウイリアム・ワイラーが監督した「孔雀夫人」をはじめ、
その作品の多くが映画化されて、
映画人との付き合いもあっただろうが、

シンクレア・ルイスの装いには、映画人の華やかさには雑(ま)じらない、
純粋なクラシックさがあった、

それは、洗練されてもいるから、
ルイスだけのポートレイトを見ていると気が付かないが、
大勢に囲まれると、
ルイスだけが「硬質」な独自のものであることが分かる、







b0151357_6163488.jpg我がアイドルのひとり、T.S.エリオットは、
いつも決まって黒っぽいスーツに黒っぽいタイを結んでいる、

実際、いつも同じスーツを着ているようにも見える、

しかし、詩人の「無頓着」さに騙されてはいけない、

天空に煌く星座の配列のように、
永遠に見飽きることのない言葉の純粋配列に腐心する詩人は、
パズルのように複雑に絡んだ美意識を隠し持っている、


そのスーツは、何かの警句のように無駄な飾りはなく、古典的で、
同じく無駄な肉のない痩躯な詩人の身体により沿うように、
意外にシャープに仕立てられている、

とくに、袖口は思いのほか細められ、
煙草とペンを握る
詩人の白く、美しく伸びた指を際立たせる、







b0151357_5505076.jpg劇作家ユージン・オニールのフロンテイアとしての、
激しく、苦悶するまでも格闘したその真摯な一生を思い浮かべると、

その、いつも律義にスーツを着こなした姿は意外に思えもする、

英国とは違う、いかにもアメリカの匂いがするそれらのスーツは、
しかし、クラシックの文法に則(のっと)ってしっかりと仕立てられていて、
オニールによくフィットしている、


「ユーモア」のオブラートで観客へ媚を売ることもなく、
徹底して、心を抉るような「ドラマ」で真実を切り開いて晒しだす
オニールの作品と同様、その人生も、
ノーベル賞をはじめ幾多の輝かしい評価の裏で、
タフなドラマツルギーで進行していく、

いまに残るオニールの姿でいつも忘れ難く、こびり付いてくるのは、
そのオニールの眼の表情だ、






その眼の奥底に見え隠れする、しかし今となっては、推し量るしかないオニールの精神と心には、メイフェアのスノッブな喧騒を思わせる英国の背広ではなく、新大陸のフロンテイアの歴史を繋ぐ、アメリカの匂いがふさわしかった、


同じような意味で、チャーチルの「信念」には、擦り切れるまで付き合わせても、その出自は頑なに匂わせる英国のクラシックがふさわしかった、


「男の服」のあり方を示せと云われれば、多分、そんなことだろう、それは、「ファッショナブル」とは次元の違う「スタイル」という話で、しかし誰かが云っているような「大げさ」なものでもない、

ただ、「大げさ」ではないが、「真実」を大切にするもので、それは、生涯の親友を探すのに似ている、
本当の友人は、人生のタフなときにはその暖かさが心に沁みる、思い切り愉快なときは喜びを分かち得えて、それは一人で愉しむのとは違う豊かさを教えてくれる、


服を仕立てるときは、生涯付きあってくれる、その親友の姿を思い浮かべれば良い、ただ、それだけのことだ、


それは、「消費」するのとは違う。















「ティラー六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp(appointment required 要予約)

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by tailorrikughi | 2009-03-26 05:53 | ■Column(New)

Column / 「バロン」薩摩治郎八の真実



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b0151357_350046.jpgブログの印象もあるのか、
初めてお会いする方から「もっと年上の方かと思っていました」と
言われることがあります、
極端な方によると「薩摩治郎八と同じ時代の人」というのも、
ウーン、それはちょっと極端かも、、、


薩摩家は、大正の成金時代を代表する家です,
財閥でなく「成金」というのが多分、治郎八本人にとっては
生涯のコンプレックスになっていたような節もあります、

当時の富豪26人のひとつに数えられた薩摩家は、
駿河台に千数百坪の大邸宅を持ち、
ヨーロッパに遊学した治郎八への仕送りは
月に一万円(約一億円か?)ともいわれています、


治郎八の豪奢なヨーロッパでの生活は、
いくつかの資料で様々に語られていますので、
ここでは触れません、






b0151357_3591031.jpgこの時代に欧米に渡航した人たちは、
多かれ、少なかれ、「諜報」と結びついていたように思います、
或いは、それを「大義」と呼ぶかもしれません、
当時、日本は「帝国」であり、
良い意味でも悪い意味でも「国家」の矜持と戦略が存在していました、


当然、遠く離れた欧州にも諜報活動の拠点は設けられ、
「陸軍」、「海軍」、
そして古からの日本の陰の力であった「西本願寺」、
この三派が積極的に海外に「草」と呼ばれる「諜報」を送っていました、
そして、この三派は互いに牽制しあってもいました、
「草」というのは、大使館や軍人ではなく「民間」に張った諜報です、





b0151357_0482329.jpg「諜報」という観点から、この時代の「ヨーロッパの日本人」をみてみると、
「歴史」の事実とは又違う物語が浮かびあがってきます、
所詮、歴史は人がつくるものです、
そこには「歴史」の大意とは違う人間臭さが必ずあります、


エコール ド パリの寵児、藤田嗣治が、
「草」であったという説があります、


陸軍のパリにおける諜報のまとめ役が藤田であった、
オカッパ頭も、独特の装いも、放埓な生活も、隠れ蓑であった、と
もともと、藤田の出自は陸軍と深いつながりがあります、

陸軍軍医総監(軍医の最高職)を父に持ち、
当時、最高の秀才校と言われた東京高等師範付属中学を
優秀な成績で卒業した抜群の秀才であり、かつ秀でた画才がありました、
藤田は美校卒業の2年後の大正2年、画学留学生としてパリに渡っています、
(写真は、治郎八愛用のスカーフとポケットチーフ、蝶タイ、
なかなかクラッシックな趣味ではある、)






b0151357_23565420.jpg巷間伝わる放埓な生活とは逆に、
実は藤田は一滴も酒が飲めなかったといわれています、
パーテイでも「酔ったふり」をしていたと、

治郎八は、藤田の最大の「パトロン」として有名です、
治郎八は、大正9年、19歳でオクスフォードに留学するために渡欧し、
翌年大正10年にはパリに居を移しています、
(写真は治郎八の愛用の時計、面白いのは写真中央の当時最新のエルメス製の
ベルト バックル型の時計を早速手にいれている、)

ここで治郎八は藤田をそのアトリエに訪ね「パトロン」になるわけですが、
当時、1901年生まれの治郎八は20歳そこそこ、
1886年生まれの藤田は、36歳で、
すでにサロンドートンヌの審査員でもあり、
代表作「Nu couché à la toile de Jouy(寝室の裸婦キキ)」は、
パリ画壇でセンセーションを巻き起こし、
8000フランを越える値で、買い取られています、



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藤田の手引きで治郎八は、芸術家とつながりを持ち、パリ社交界に出入りしはじめます、
藤田と出会う前に、治郎八が社交界に出入りできていた痕跡はありません、
私の経験から云っても、社交界に「外国人」が出入りするためには、
ある「程度」の「現地」の後見人が必要です、
パリにおけるサロンドートンヌの審査員というのは、
ウイーンにおけるウイーンフィルの指揮者就任と同様に、
その時点で社交界との日常的な繋がりができ始めます、
当時、「Fou Fou(お調子者)」という愛称で社交界でも人気者だった藤田は、
治郎八にとって格好の「後見人」といえたでしょう、

(写真は、ランバンで仕立てられた治郎八の「ミッドナイットブルー」のテイルコート、
ウインザー公をまねたのか、パリ社交界では初の「黒」ではないテイルだったらしい)
 




藤田と治郎八の関係は、パトロンと画家というよりは、
薩摩家という資金力を背景とした早熟な青年を藤田が「草」として監視し、
手玉にとっていた節があります、
薩摩家は商売柄、「海軍」と深い関係にありました、


治郎八自身は、確かに「早熟」で、渡航前から自邸で音楽会などを催し、
徳田球一など共産主義者をワザと招待して、
出席者の顔色を面白がるようなところがありました、
しかし、学業もそれほどパッとせず、
薩摩家の跡継ぎとして箔をつけるために、
父親がオクスフォード留学を手配したといいます、

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当時の陸軍の「諜報」を預かっていたのは上原勇作元帥だといわれています、
この「日本工兵の父」といわれた元帥は興味深い人物です、

薩摩家は海軍とつながりはありましたが、
こと「諜報」という分野では、統制力抜群の陸軍に比べ、
海軍は、組織統制においては杜撰といわざるをえませんでした、
そして、ご存知のようにその後の日本は陸軍によって導かれていったといえるでしょう、

治郎八の「勲章」となったパリ日本館の建設(1929年)も、
一説によると、自立できうる豊富な資金力をもって、
かつ「イノセント」な振る舞いにみえる青年治郎八を、
軍部が「危険」に感じて、「薩摩家の資財を枯渇させる」ために、
大義の下に「仕組んだ」ともいわれています、

なるほど、日本館はあくまで「政府への要請」です、
そして1931年に満州事変を起こす日本には別の意味で「金が要りました」、
それに、治郎八だけが資金提供を受けず、「管轄外」にありました、

(写真は、治郎八のダンヒル製のシガレットケースと愛用のシガレットホルダー、
治郎八は晩年までゴロワーズを喫い続けたという)


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1926年に新妻千代を伴って再渡仏してから、
1935年の大恐慌による薩摩家の破綻、そして1937年の帰国までを、
治郎八の「華」とするならば、それは10年余りにすぎません、

史実によると、その「華」の時代に、治郎八は「遊蕩」だけでなく、
「民間外交」とも呼べる活動をし、日本政府に働きかけもしています、
この時代の日本人は、ある意味で「真面目」です、エゴイステイックではありません、
しかし、日本政府要人は治郎八をその若さもあり、相手にしなかったようです、

戦後も、治郎八は無視されたといえるでしょう、
もし、治郎八がフランス国籍ならば、
レジヨン ド ヌール受勲者を仏政府は死ぬまで丁重に扱ったでしょう、



翻って藤田は、1940年に戦火を逃れて帰国するまで、
何度かフランスと日本を行き来しています、
帰国した藤田は、陸軍との繋がりから従軍画家として「戦争画」を描き続けます、
その藤田の「戦争画」はやはり抜群に上手いです、
美術価値のある「戦争画」です、
点数も他の画家よりも数多く残っています、
そして、当時、或る意味で、それまで藤田に対して閉塞的だった日本画壇は、
初めて藤田を戦争画によって「評価」します、

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しかし、これが災いしました、
戦後、藤田は日本画壇の「戦争責任」を一身に背負わされ、
手のひらをかえしたように、今度は「美術界の面汚し」とまで批判され、
まともに評価されることはありませんでした、
終には藤田は「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」という彼らしい捨て台詞とともに、
再度渡仏して二度と帰国することはありませんでした、
実質的には日本を追われたも同然です、
そして、晩年まで藤田は「正しく評価しない以上、忘れて欲しい」と、
日本での展覧会を強く拒み続けていたといいます、


この二人の稀な「幸運」に恵まれて生まれ、
そして本来は、もっと国際的に評価されるであろう活躍を成し得た日本人が、
時代のせいもあったでしょうが、
祖国が認めず、その運命を狂わせて仕舞ったのには悲しく思わざるを得ません、
藤田はフランスに戻ってから友人たちに、
「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」とよく語っていたといいます、

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」

寺山のあの短歌が思い出されます、




70年代のヨーロッパでは、まだ彼らには日本人と中国人の区別もつかず(いまも、そうかもしれませんが)、私は何度も「I`m  Japanese」と繰り返さざるを得ませんでした、

私は、ちょっと派手で、「国籍不明」だったせいもなおさらあるかも知れませんが、行く先々で繰り返したその言葉の記憶もあって、この二人には説明し難いシンパシーと「しこり」を感じます、

特に、藤田は抜群の才能とその頭脳明晰で、時代というものが味方すれば、晩年のレクイエムのような子供の絵ではなく、別次元の芸術にまでかるく羽を伸ばし得たように思えて惜しくてありません、

或いは治郎八は、あの中途半端な「日本館」を得る中途半端な「栄誉」よりは、20世紀前半の傑作を生まれるすぐそばから蒐集していく日本人初の貪欲で歴史的なコレクターになって欲しかったと悔やまれてなりません、治郎八は、その時代と場所に恵まれていたはずです、

資料を調べていくと、それでも治郎八はルノアールや数枚の「もの」は持っていたはずです、しかし、今、治郎八が残したものにそれらは残念ながら見当たりません、多分、「日本館」の資金のためにどこかに消えていったのでしょう、

ただ、私が治郎八の残したもので、気にいっているコレクションがひとつあります、

それは、治郎八が愛用したという「ネクタイ」のコレクションです、これについては、、、いつか紹介しましょう。









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by tailorrikughi | 2008-12-25 11:12 | ■Column(New)

Column / サー・イーデンとピークドラペルスーツ



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Column |  サー イーデンとピークドラペルスーツ





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或る日、まだ若かった私は、
数枚の写真をもって馴染みのテーラーに出向いた、

それは、銀幕のスターなどではなく、
或る魅力的な姿をした政治家を映したものだった、

私は、その政治家が愛用していた、
ピークドラペルのシングルの三つ揃いに
魅力を感じていたのだ、

その写真をみつめて、
テーラーのお爺さんは、不思議に
複雑な表情をみせた、
「、、サー・イーデン、、、」

お爺さんが呟いたとおり、
その政治家の名は、
サー・アンソニー・イーデン エイヴォン伯爵、
「悲劇」の政治家だった、




b0151357_381366.jpgこのスタイリッシュな政治家は、
絵に描いたような英国保守党のそれの履歴を持っている、

貴族として生まれ、イートン、オクスフォードとすすみ、
チャーチルの「後継者」として外務大臣を3期勤める、
「エリート」なのだ、加えて華やかなスター性に恵まれていた、

人望も厚く、チャーチル引退後、総選挙で圧倒的な勝利の末、
首相の座につく、

誰もが、「大」英「帝国」の首相として合いふさわしい人物と、
認め、嘱望していた、

イーデンの不幸は、50年代半ばに入り、時、すでに、
世界構造が大きく変わろうとしていた時代にあったことで、
加えて、それをいまだ「大」と「帝国」のついたテクストで、
乗り切ろうとしたコトにある、
イーデンにはそのキャリアからも自信があったのだと思う、

優れた人ではあったが、「革新」の人ではなかった、

こうして、イーデンは「スエズ危機」で致命的な躓きをする、


b0151357_382624.jpgスエズ運河の国有化をめぐる、
その後の世界構造を決定していく駆け引きのなかで、
「大」英「帝国」は屈辱的な敗北を蒙る、
それは、「スターリング圏」の屋台骨をゆるがすほどのものだった、

その過程で画策されたイスラエルとの
幼稚な謀議が明るみにさらされるに至って、
輝かしいはずのイーデンの政治生命も、
恥辱の果てに断たれることになる、

その後、英国は急速に影響力を失い、この痛手は
「スエズシンドローム」ともいえるコンプレックスを英国に残す、
サッチャーやブレアの強行路線は、この呪縛の複雑な裏返しにある


もともと健康に問題のあったイーデンは、
激務に追われ、それを悪化させ、理性をも失っていく、
その退任の挨拶には、英国民も複雑な想いを抱いたろう、
ある意味では、郷愁さそう「大英帝国」の矜持を守ろうとした
最後の政治家といえるのだろうか、
ただ、現代では稀な古の優雅なスタイルをもつ姿の良い人だった、




いかにもイギリスらしいジンジャービスケットと、おじいさんが、淹れてくれた紅茶をミルクをいれないで(ジンジャービスケットには、ミルクを入れない方があっていると信じている)、愉しみながら、そんな話をしていた、

窓の外は、夏の残り香も失せて、このところ急速に冷え込んでいて空気も感触が違ってきてる、ハムステッドにはもう落ち葉が目立ちはじめていた、

おじいさんとつくった、ピークドラペルのスーツは、エスクワイアのフェロウズが描くそれと違って、古の英国を匂わせる、少しフィットさせた独特のシルエットだった、

それは、多分、おじいさんのかつての英国への矜持だったのかもしれない、














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by tailorrikughi | 2008-11-09 03:19 | ■Column(New)

Column / その名は、ジョン・ステイード、、、、


John Steed esq.,,,,



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b0151357_16243297.gifJohn Steed esq.

敬愛するジョン・ステイードさま
(esq.は、紳士の敬称、esquireの略)

私があなたを初めて見かけたのは、
まだ10歳にも満たない頃、TVのブラウン管の中でした。

時あたかも、カラー放送の始まりで、
分厚くて小ぶりな画面のなかで、
貴方は、透明人間や、はたまた電波によって凶暴化する子猫とか
やや荒唐無稽ともいえる敵と戦う英国情報部員としてご活躍でした
マザーとよばれる車椅子のでっぷり太ったエイジェントのボス、
ファーザーとよばれる盲目のスリムな女性ボス、
エマ・ピールという美人科学者のパートナー、

何が何だかわからないままに私は引き込まれ、
しかし、子供の私でも、画面から伝わってくる
「時代が変わるな」という、キラキラしたオーラーを
たしかに、感ぜずにはいられませんでした。

瞬く間に、あなたは人気者になりました。








b0151357_16524815.jpgそれから、時は流れて、
失礼ですが、私も貴方のことを忘れていました、
ところが、17,8歳の頃、
また貴方とお会いすることができました、
何の予告もなしに、再放送が始まったのです。
おかげで、気がついたときは、
数編のエピソードを見逃していました。

17,8歳といえば、お洒落に目覚める頃です、
恥ずかしい話ですが、私はその頃、古のダンデイたちに夢中でした。


b0151357_1655249.jpg私は、貴方の姿に惚れ惚れしました、
ぴったりフィットしたスーツ、細身の傘、
子供の時分には気が付かなかった英国紳士のダンデイズムが
そこにあったのです、
私は、すぐさまソーホーの古雑誌屋に駆け込み、
当時のTVガイドや、貴方の姿が映る様々を、
一抱えにして家に帰って、貴方専用のスクラップブックを作り始めました。
それほど、衝撃だったのです。

ビデオなどまだない時代です。




b0151357_16532261.jpg私は、その頃、服を頼み始めていたサビルローのテーラーに
スクラップブックを持ち込んで、
当時の服について尋ねました、
ところが、テーラー氏は
「坊ちゃん、これはサビルローのスタイルじゃないんですよ。」
「デイテールもそうですけど、このウエストから落下傘みたいに、
フレアーするシルエットは当時のフランス風なんですよ。」
そして、もっと詳しい事を知りたいならと、
ソーホーの或るテーラーを紹介してくれました、

私には英国紳士の典型と思えたそれは、
ピエール・カルダンという当時宇宙服みたいな女物を
つくっていたクチュリエの手によるものだったんですね、

太い眉をして、黒ぶちの眼鏡をかけた、
そのソーホーのテーラーのおじさんは、
60年代を現役で生き抜いた人でした、


b0151357_17104662.jpgその知識と経験たるや、溢れる滝のようで、
当時、50年代末から「The Group of Five」と呼ばれるフランスのテーラーたちによる
男の注文服のデザイン化があったこと、
ロンドンでも「Great Suits」と呼ばれる独特のスタイルがあったこと、
当時を伝える写真だけでなく実際の布や、
型紙や、服を広げて行われる私的な講義を聴くにつけ、
あなたのスーツが当時いかに、先鋭的だったのかが
分かりました。

私も、
おじさんに、スーツの上衿にシルクのベルベットを張った、
「Great Suits」を何着かつくってもらったりもしました、




それから、時はもっと流れ、今に至ります。
ジョン・ステイードさま、私はあなたのことを忘れてはいません、
多分、私だけでなく、
世界中に貴方の遺伝子はいまだ密かに受け継がれています、

時代が進めば、進むほど、かえって、忘れがたく、憧れも繰り返し生む、
60年代、ロンドンという、
キラキラしたオーラーを身に纏った
陽気でカルトなダンデイ、

その名は、ジョン・ステイード、、、、、















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by tailorrikughi | 2008-09-06 15:51 | ■Column(New)

Column / The Astaire   Step in the Time






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b0151357_165350100.jpgアステアは、日本人好みの美男子というわけではないので、
日本では、いまひとつ評価が低いような気がするが、
アメリカでは、やはりダンデイといえば必ず上位に入ってくるハリウッドスターである。

手元にある「ハリウッド ポートレイツ」という
ハリウッド男性スターのポートレイトの古いレターセットにも
ケイリーグラントなどと並んで、ダンデイな姿が、その一枚に加えられている。

アステアは、サビルローのあるテーラーでスーツを頼んでいたらしいが、
この時代のそのテーラー、或いはその時代のサビルローはやはり黄金期だったのか
今とは違うラインがそこにある

下の写真のアステアにしては珍しい、4つボタンのダブルブレステッドは
なかなか魅惑的な、イギリスらしからぬシャープなラインを描いている

多分、グレイフラノであろうそのスーツを
アステアは下のボタンひとつで留めて少しいなせに着こなしている。








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b0151357_16581290.jpg「イースター パレード」でみせた、
珍しい6ボタン、3つ留めの、クラッシックなダブルのリーファースタイルの
スーツ姿も良かった。

サビルローのそのテーラーは、カッターによってスタイルに違いがでる、
これは、変に思われるかももしれないが、考えてみれば当たり前のことで、
優れたカッターがいる時代は優れたものができあがる

アステアが活躍した黄金期と、
実は、1970年代と80年代初頭のわずかの期間もまた、
このテーラーのピークだった、
優れたカッターがいたのだ、


この時代のハンツマンもそうだった、
この時代には50代後半から60代の1950年代以前を知るカッターがいて、
両者とも、少しアメリカ風というのか、例えば
ハンツマンのあのワンボタンの上着は、かなりVゾーンが深く、
その、ウエスト位置が低いワンボタンに向かって、
思い切り良くシェイプしていた、

この時期は、押し寄せるピーコック革命(懐かしい)や、
デザイナー既製服の台頭とサビルローは次々に揺さぶられ、
優秀なカッターは、何とかしなきゃならんと、
危機感をもって、新しい波もそれなりに取り入れ、
結果、良い仕事をした、

それから、80年代にはいって、
サビルローは英国経済とともに急激に廃れていく、
「職業」としてのテーラーに魅力がなくなり、人が離れていった
次世代を担うべき人材の補充もままならなかった、、
その空洞の時期が、今に響いている。





b0151357_19214449.jpgそうそう、
アステアはいつも良い靴をはいていたことを忘れてはいけない、
パリやロンドンでちゃんとビスポークしていて、
いつも、スーツにあった靴をはいていた、
その合わせ方もアステアらしい洒落があった、

右の靴を無造作に並べ上げたアステアの写真はどうだ、

アステアは、仕事のせいもあったろうけれど、
本人もお洒落を愉しんでいたと思う、
それも、決してシリアスにならず、
アステアらしいさっぱりした、洒落たスタイルで、、、
この人には、やはりスタイルがあったんだな、


アステアの精神よ、永遠なれ。









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by tailorrikughi | 2008-08-19 17:11 | ■Column(New)

COLUMN / 「STYLE」 について


TAILOR CLASSIC




Corrrect Style & Timeless Quarity
Style
Column |  スタイルについて




わたしは、主にロンドンとパリと、ウイーンとローマのテーラーで服を頼んできました。これは、時系列で頼んできたというわけでなく、各都市毎にテーラーと継続的に付き合ってきたということです。服や靴だけでなく、その他、生活に必要なものも各都市毎に決めて継続的に付き合ってきました。

何故、そんなことをやってきたか、それは常にその都市の間を移動する生活をしてきたからで、事情によって一週間もたたないうちに別の都市へ移動したり、或いは何ヶ月もそこに居つくこともありました。

しかし、どこにいようが、自分のライフスタイルを崩したくはない、むしろライフスタイルをエレガントに向上させたい、そのためには、各都市ごとに各々をまかせられる専門家が、「必要」と云わないまでも、あった方が便利で、なにより愉しい毎日が送れます。



とにかく、好きな時に、好きな場所に出掛けるというのが身上で、気軽に移動し、体感を増やしていくことがなによりの「生きること」への栄養だと思っています。


とくに、20代から30代にいたる時代は、自分なりに生きていくことへのスタイルを模索していた時代で、友人も呆れるくらいヨーロッパ中を移動し続けました。なにしろ、サンピエトロに興味を持てば、毎週、毎月のように出掛け、ニューヨークの街が面白かったときは、やはり毎月出掛けるという具合でした。この「アスリート的な」移動生活から得たものは大きく、いまでも私のベーシックをつくってくれたものだと思っています。

(この辺の事情は、「百歳堂毘日乗」に記そうと思いますので、ご興味のある方はそちらを覗いてください。)


そのなかで、テーラーや靴屋、シャツ屋との付き合いも、出来上がったスーツやシャツという「物」だけでなく、その付き合いのなかで「男の生き方」や「人生の愉しみ方」といった面でも、いろいろ得たものが多いと実感しています。時代も違ったのでしょうが、これは、既製品をただ買っていたのでは得られなかった体験だと思います。


いま、書棚に残った若い時分に集めた本を読み返しているのですが、それと同じように、自分が作ってきた服も取り出して、見直しています。

それは、服を「読書」する「愉しみ」とも云えます。ビスポークの場合、一着のスーツにも、生地を選び、何回かの仮縫いを経る過程、或いはその時の自分の思いなど、様々な記憶が詰まっています。さらには、経験を積んだ今だからこそ、そのテーラーの「仕事」に気づくこともあります。


学生時代に注文し始めた頃の何も知識がなくて闇雲に形だけに拘っていた時代、そして美しい服への想いだけが突っ走っていた時代、それから経験を経て、ある程度の自分のスタイルで注文できるようになったと思える時代、、、書棚に並ぶ一冊づつ選んできた「書物」のように、クローゼットに並ぶ服は私の履歴を教えるアーカイブといえます。

幸いなことに、私は良いテーラーに恵まれています。

今日は、その中から、2着のダブルブレステッドのスーツをご紹介しましょう。








b0151357_12354073.jpg「1974年製 サビルロー スーツ」


一着目は、学生時代から付き合ってきたサビルローのテーラーのものです。チケットを見ると、1974年5月28日に納品されています。

このテーラーは、イートン校とのつながりが深く、イートンにも支店があります。10代後半ぐらいからの付き合いです。これを、見ると、20代からほとんどスタイルが変わっていないですね、私は。
事実、直し続けて、7~8年前までは、現役でこのスーツを着ていました。ここら辺りが、昔の丁寧に仕立てられたビスポークスーツの底力ですね。

いまは、私の身体が一回り大きく(太った)なったので、直すのも限界かなと思い、次世代に譲ることにしました。34年経っていますが、スーツには全く問題がないです。



仕立ては、非常に立体的にできています。お手本のような、イングィッシュドレープです。特に胸周り、ウエスト、コートの裾にいたる構築は上手いです。これが、いまのサビルローと違うところです。

生地は時代もあって、しっかりウエイトのあるネイビーのピンストライプです。これもまた、お手本のような英国スーツ生地です。実は、、これにはエキストラトラウザーズをつくっていて、つまり2本、トラウザーズを仕立てています。一本は、典型的なイングリッシュカット、もう一本は、フレアートラウザーズ、つまり「パンタロン」です。時代はスウインギングロンドン真っ只中ですからね、それに、当時、パリにガールフレンドがいて、しょっちゅう通っていましたから、彼の地では当時「ミネ」というスタイルが全盛で、戦略的(?)に、ビスポークのフレアパンツを用意しようと思ったのです。


やっぱり、フレアーパンツを頼んだときは、テーラー氏は何も云わなかったけれど、いわゆる「眉をつりあげ」ました、まあ2本つくるということで、かつロンドンの「ジェンントルメンズクラブ」などでは決して着用しないこと、と約束させられて作ってもらいました。

フレアーパンツは、ノープリーツで非常にきれいなラインでした。
驚いたのは、片手間にそれらしく真似たというレベルどころか、パリでもどこのデザイナーのものかと始終聞かれたくらいですから、流行のデザイナーの域を超える美学をもっていたところです、

後で、店のお弟子さんに聞いたところ、このパンツをつくるために、テーラー氏はグラニー テイクス ア トリップとか当時でも、かなり通好みの店を自身でリサーチに出向いていたということでした。恐るべし、、、

そのことが影響(?)したのかどうか、しかし上着はかえって極めて英国的につくられています。


こういう、テーラーの気構えとか、顧客とテーラーとの丁々発止のやり取りがビスポークの醍醐味といえるところで、お互いにそれを愉しむ余裕と情熱が、この時代にはありました。










b0151357_15545730.jpg「LONDON CUT EDWARDIAN SUITS」


もう一着は、極めて独特の姿をしています。
かなり広めに取ったしっかりした肩、ウエストもかなり絞っています、そして着丈の長い、独特のエドワーデイアンスタイル。これは、実際に着ると、かなりスタイリッシュです。


これも、サビルローテーラーですが、いわゆる「パーソナルテーラー」の作です。適当な言葉がないので、「パーソナルテーラー」と呼びましたが、通りに店があって不特定多数の客を相手にするのではなく、極く限られた客、つまり一見の客はお断りというテーラーです。



私の若い時分には、まだロンドンでも何人かいました。サビルローの店と違うのは、すべての「パーソナルテーラー」がそうではありませんが、このテーラーは採寸から裁断、縫い、仕上げまですべて一人でやっていました。いわゆる「丸縫い」で、分業を拒否していました。そして、お客の望みに徹底して付き合う、だから値段も、当時のサビルローの店の2倍、或いは2.5倍ぐらいは平気で取っていました。なぜならば、年間に縫える数は限定されますから。







b0151357_12373477.jpg こうした人は、たいがいお爺さんで、もともとはサビルローのヘッド職人だったり、職人協会の会長とか要職にある人が多かったですね。


このテーラーは頑固な人でしたけれど、私はこの人から学んだことは非常にたくさんあります。英国の服のスタイルの、こと細かいデイテールにまで及ぶ広範な、そして実地経験をふまえた知識は、この人から引き継いだものが多いと思います。いまや、そういう知識を持っているテーラーはいないでしょう、またそれを書物から得ることも不可能でしょう。たいへんラッキーな出会いだったと思います。
六義のテーラーとしてのスタイル、姿勢はこの良き時代の「パーソナル テーラー」にあります。



まず、仕立てがその当時でも、サビルローとはレベルが違っていました。芯の作り方をはじめとして、1950年代以前の、英国テーラーの一番良い時代を守っていました。そして、スタイルについての知識ですね。「いまのテーラーは、何も知らない」と豪語するだけあって、驚愕する知識のアーカイブを持っていました。

私は、このテーラーで都合、6着のスーツをつくりましたが、本当はもっと付き合いたかったのです、しかし私が出会ったときの年齢もあり、どうしても「引退する」と潔く引退して田舎に引っ込んでしまいました。


ちなみに、この人は、伝説のダンデイとして知られるNeil Munro ("Bunny") Roger 、バニー・ロジャーの服を昔、手がけてもいました。バニー・ロジャーは、後年、ポール・スミスがその遺品を買って、自身のコレクションに取り入れたことで日本でも紹介されたので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

私は、当時(80年代前半)、バニー・ロジャーのことなど知りませんでした。しかし、一度、出会っています。
それは、メイフェアの或るギャラリーの「プライベート ビュー」(上得意だけを呼んで開催前に行われる下見会、パーテイみたいなもの)のことで、会場でひときわ目立つ、異様にスタイリッシュなお爺さんが、後でわかったのですが、ロジャー氏でした。








b0151357_1238164.jpgロジャー氏がそのとき着ていたスーツは、生地は極くクラッシックなダークなストライプでしたが、とにかく、その思い切り広く取られた肩、削り取られたウエスト、細いパンツ、とくに後ろ姿のフィットした逆三角形を描くとんでもなくスタイリッシュな姿には目を奪われました、そしてサイドベンツが異常に深いのです、腰の辺りまであったように思います、その深いベンツから時折覗く鮮烈な色の裏地。

ふと気が付くと、私と同じように彼の姿に見惚れている人がいました。エリック・クラプトンです。彼は、絵画をはじめビンテージーカー、競争馬の名立たるコレクターですからね。目と目があって、お互い無言で「すごいね」と目配せしたのを覚えています。
(エリック・クラプトンは、おもしろい動きを見せる人で、彼のコレクターとしての活動もそうですが、一癖あるセレブリテイーがメンバーに集まる「グルーチョ クラブ」というプライベートクラブの設立にも参加しています。いまもピカデリーの裏手にあるこのクラブ、ロンドンの小さなプライベートクラブ ブームの走りともいえるもので、料理がおいしいことでも有名です。)


その、印象が強烈で、それでこのテーラー氏で新しいスーツをつくるときロジャー氏のスタイルを参考にスケッチを描いて持っていったのです。

その時、テーラー氏が「ああ、それはサー・ロジャーだ。」と教えてくれたのです。そうして、私に合うようにアレンジして出来上がったのがこのスーツです。夏前だったので、非常にしなやかな、かすかにストライプが見えるモヘアで仕立ててあります。全体にエドワーデイアンの独特の匂いのあるバランスで、チケットポケットの位置など特徴的です。ただ、すべてこのスタイルで作ったわけではありません。(つづく)














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by tailorrikughi | 2008-08-15 15:39 | ■Column(New)

Style スタイル


TAILOR CLASSIC




b0151357_1572070.jpg日ほど、「スタイル」という言葉が濫用され、また欠如している時代も珍しい。

「スタイルとは、持っている人はもっているし、持っていない人はもっていない。 ただそれだけのことなのだ。」 とは、60年代から70年代の上流社会を辛口で活写したタキの言葉です。

タキ自身が、スタイルのある「プレイボーイ」でした。

このエッセイで、タキは、こうも言っています。
「スタイルの特徴は、深みのある人格が知らず、知らずのうちに滲み出し、なにもしなくても、周りの関心を集めだす、、、という点にある。」と、、、


は、スタイルとは生き方だと 思います。


人種や年齢によらず、いろんな人にめぐりあった自分の経験からいわせてもらえば、人間というのは 生き方によって 死ぬまで成長もできれば、つまらない、不平だらけの人間で終わってしまうこともあるのです。

スポーツでは、その技術や、才能とともに、精神的な強さが、大きな評価にあげられますが、生き方もまた、かなり、強い信念がないと 後で悔やむことになります。  






b0151357_1515114.jpg「スタイル」というからには、「ファッション」ではありません。男のワードローブは、「スタイル」であって「ファッション」とは違います。

「スタイル」なのだから、一生を通じて着れなければうそになります。写真として残る70~80年前のウインザー公や、ダンデイ達の姿が、いまもエレガントにみえるのは、そうした服を選んでいるからです。























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by tailorrikughi | 2008-06-26 14:47 | ■Column(New)

Column / 「トープギャバジン」



TAILOR CLASSIC


Corrrect Style & Timeless Quarity
GABARDINE

Column |  トープギャバジン スーツ






b0151357_64874.jpg

夏のスーツといえば、軽いハイツイストウーステッド、或いはリネンやシルクウール、それにモヘアも捨てがたいですが、私が好きなのは何といってもギャバジンのスーツです。

本格的なギャバジンは、布地のなかでは高価で、仕立てるのもちょっとやっかいで、プレスするのにも気をつかいます。しかし、何よりその独特の光沢のある質感が、上品なラグジュアリー感を醸し出して、この風合いは、他の布地には替えがたいものです。


コロニアルタンのギャバも良いですが、極め付きはトープと呼ばれる、少しピンクがかったベージュで、トープギャバジンのスーツは、昔から紳士のクラッシックな夏の装いの中でも、最も上品な一着として愛されてきました。大人の贅沢なスーツで、ちょっとダンデイズムとか貴族趣味を感じさせます。


ただ、先染めの上質なギャバジンそのものが、なかなか手に入りにくくなりました。特に、トープ色のギャバにはなかなかお目にかかれません。どうも、ギャバジンという織り方そのものが、コストがかかり織り手には厄介なものらしいのです。














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by tailorrikughi | 2008-06-26 14:10 | ■Column(New)